僕は3歳から5歳の間に、3つの幼稚園に行きました。西宮から福岡に引っ越した時、長尾幼稚園(現きりん幼稚園)の年長組に入りました。
他の幼稚園と比べて、印象深いことといえば、西宮ではいたずらっ子がいたずらしても、我慢する子がよい子と教えられていました。ある日、意味もなく僕に仕掛けてくる子がいて、僕は我慢していました。その時、担任の先生が「剛君、言い返してもいいのよ」といわれ、僕は「言い返ししてもいいの」と聞いて、廊下まで追いかけて言い返ししました。そのあと、その子は僕だけじゃなく、他の子にもものを投げたり、噛みついたりしなくなり、おとなくしなりました。
今、21歳の大学3年生になり、反骨精神の第一歩はこの幼稚園で養われたように思います。他の幼稚園では、ケガをすることを恐れて、ことなかれ主義の教育だったと思います。
小学校3年生から野球に熱中し、高校は柳川高校に入りました。入部当時、100名近い部員の中で、寮では先輩の世話をし、部屋、風呂、便所の掃除、そして同級生と競いあわなければいけません。ケガもします。病気にもなります。でも野球を止めたいとは、一度も思ったことはありません。僕にも意地があります。絶対レギュラーを取ってやると決心していました。
高校3年の夏、晴れて福岡県代表として、甲子園に出場しました。あの5万人の観衆の中で、ベスト8まで勝ち進みました。心配してくれ、また期待してくれた人たちに恩返しができた思いです。
正直いって僕も野球以外の対人関係に嫌気がさし、挫折しかけたこともありました。そんな時、はげましてくれた人たちのことを思い、歯をくいしばってがんばりました。目標を持って、持続することは、必ずなにか自分に得るものがあると体得しました。
15歳の春、柳川高校に入寮の日、朝早くに家の前まできて、「がんばれよ」と送り出してくれたのは、同園卒園の同級生の小車哲也君「てっちゃん」でした。
第25回卒 灰本 剛(鹿屋体育大学3年)
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